教典deヨガ■バガヴァッド・ギーター第3章43節

真我(アートマン)は知性を超越する。
高次の自己により低次の自己を制御せよ。
アートマンによって心を制御し、“欲”という名の恐るべき敵を征服せよ。
頭で考えるとき、人はどうしても計算が働く。
損か得か。短期的な未来に益となるか、または何も得るものがないか。
場合によっては過去の貸し借りなどが思い起こされるかもしれない。
そしてこれらの計算はすべて「欲望」に直結している。
心で考えるときは、それぞれが抱えている感情に左右される。
この場合は“頭で考える”よりもマシとされているが、これも広い目で見たら自身の感情の「欲」を追いかけているに過ぎない。
そして時として、様々な感情に突き動かされて発される言動をそのまま排出すれば「感情的」と揶揄されがちになる。
ただしこの場合、自身の感情について認識しつつも、その感情に左右されない、踊らされないコントロール能力を鍛えることによって「理知的」という形に成長する。
ちなみにこのコントロール力は、ヨガで「知性(ブッディ)」と呼ばれるチカラの一つでもある。
真我(アートマン)というのは、人間の心身に影響されない次元の「自己」である。
この、頭でも心でもない「私=アートマン」に気づくために本来のヨガがあるのだが、現代社会の中でこの本質をついたヨガに出合うには、自己探求が一番の近道である。